英語習得のメカニズム

シンガポールで1年半働いているエンジニアなのですが、英語習得について思ったことをいくつか。

 

 

英語力は、"必要なレベルまで"しか上達しない

よく、英語を身につけたければ海外(英語圏)に行け、と言われるのですが、それを鵜呑みにしてしまったな、と思っています。

考えてみれば当然なのですが、海外に行けば自動的に語学が習得できるわけではありません。
海外に行けば、英語を話すことが"必要"となって、必要だから、どんどん覚えていく…というだけのこと。

例えば、学校に行くなら、学校で必要な英語を覚えるし、
恋人ができたのなら、恋人とコミュニケーションするのに必要な英語を覚えるし、
商談をしなければならないのなら、商談をするのに必要な英語を覚えるし、
インド人開発チームをマネジメントしなければならないのなら、マネジメントするのに必要な英語を覚える…

僕の場合だと、最後のやつなので、これができる程度の英語力が身についたのですが…
これが、びっくりするほど レベルが低い。最初に想像していた「英語ペラペラ」とは程遠い。

 

 

「英語が話せるようになったら」やりたいこと

英語ペラペラになりたかったはずなのに、何故 そうならなかったんだろう?

理由は簡単で…僕にとって、英語がペラペラになることが必要ではなかったんです。

以前の僕の思考は、恥ずかしながら、こんな感じでした↓

英語がペラペラになったら
→英語の開発リファレンスをいっぱい読もう
→外国人の友だちを作ろう
→アメリカとかに転職しよう
→英語で映画を見よう
→…

などなど。「英語がペラペラになった前提なら」、やってみたいことはたくさんあったのです。
そして、海外に行けば英語がペラペラになる、と思って飛びついた、と。

 

 

重要なのは「なぜ英語を話せるようになりたいのか」

僕の思考は、完全に逆でした。正しくは、こう考えるべきだったんです↓

アメリカで働きたい!
→面接で正しく受け答えできるようにならなきゃいけない!
 →働き出したときに備えて英語ドキュメントが簡単に読めるようにならなきゃいけない!
  →…
   →あれ?いつのまにか英語がペラペラに!


「英語は目的ではなく手段だ!ドヤッ」 と書いている記事を何回か見かけた事があるのですが、ようやく腑に落ちました。
何か、達成しなければならない、達成したい目標があって、そのために英語が必要だから英語が習得できる。ってことなんだと。

僕の場合も、前述したとおりに 英語習得後にやりたいことはいくつもあったのですが、
その「やりたさ」に比べて、英語習得のコストがあまりにも高かったんだなと思います。

 


でも、まだ、英語習得を諦めきれていない自分がいます。
自分の輝かしい未来のために、きっと英語が必要なんだと、どこかで思ってる。
輝かしい未来ってのが何なのか、頑張って追い求めます。